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のせてしまおう [エッセイ]

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 立川談志 きょうはまるごと10時間を通して観た。落語はCDで時々聞く。
いままで、何か近寄りがたいものもあり、取っておいた師匠だ。いつかは聴こうと
思っていた。放送するのを知り録っておいた。

 苦闘する落語家。噺の本質が何なのか、どのように表現する事がベストなのか、
ベターではない、を追求している。推敲を二六時中否、それ以上しているのだ。
それでも発した噺の結果がすべてだが。

 古典を話す心を要求し厳しく己に課している。前進させているのだ。
理解するには未熟だが、声音は言わずもがな、口と手が自在だ。
への字に台形に曲げた口、右に左にと。身体全体の動きは誰でもする。
仕草表情が言葉を補って余りある。手のひらの一つ一つが、八っぁん熊さんの
その時々の生き様を発信しているのだ。人形浄瑠璃の手かもしれない。
矢鱈ではないのだ。
  
 演目は居残り佐平次。声が枯れていた。
出来の如何は分からないが今まで聴いた居残りとは違う。
巧みな噺の中で談志の佐平次が生きている。
72歳の苦闘をそのまま聴いたが、声の枯れがじゃまをしている。

 聞き手の質、聴こうとする姿勢を要求する。
談志の世界に少し馴染んでいないと語りが減衰してしまう。
聞いて楽しめばいいのだが、世界に浸ってないと解らないし、のらないのだ。
ながれる。それはそれだが、競演が必要なのだ。
楽しいときは楽しく、悲しい場面は悲しく、聴かせるところは聴き入る自然な心が大切なのだ。
落語家は誰だって同様のことを考えていると思う。
だがそれを追求する実践するのが談志だ。糧なのだ。

 今、生で聴くことが出来る。談志を聴き入ってのせてしまおう!我々は刮目す。

 花ちらら 八山ぬけて 土蔵やど

 素人批評ですいません! 師匠!

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