幕末太陽傳 思い出・・・ [エッセイ]
川島雄三監督フランキー堺主演の映画、落語居残り佐平次や品川心中を柱に映画化されたもの。
残念ながらほんまもんを映画館では見ていない。
テレビで放映されたものをDVDに焼き直してちらちらしているやつを時々テレビで見る。
冒頭は第一京浜国道と国鉄の列車がすれ違う八山橋のシーンだ。
何となく懐かしく思える映像だ。そういえば裕次郎が高杉晋作役出ていたっけ。
ガキの頃は八山橋は遊び場の北限であった。
時として御殿山のソニー、当時は木造の建物だった? の方まで探検にきたものだ。
話がそれるが、当時のソニー、東通工はマイクロ(白黒)テレビを買うと
西ドイツ製のメッサーシュミット、前二輪後一輪の200cc位のエンジンを積んだ
前一人後ろ一人乗りの自動車、を抽選で景品につけていたような気がする。
また、近隣の小中学校にヘリコプターを飛ばして空中撮影をしていたような気がする。
今は懐かしいアッちゃん坊やの時代だ。多分に記憶互いが多くあると思う。
鮫洲から旧道、昔の東海道を自転車で八山橋まで来ては戻りしたものだ。
当時八山は現在と同じ鉄橋がかかっていたし、旧道には窓格子の家々が多くあった。
勿論商店街も賑わいを呈していた。
祭りの時に大名行列がでて、一度親父と見に来た覚えがある。
また、御輿が海に入って威勢をあげていた記憶がある。
今日、法事の会食の店探しで品川プリンスの38階までのぼったが
駅前はずいぶんと変わってしまった。
写真右上には子供時分の北限であった八山橋が写っている。
そういえば、中学高校のときは品川の駅前はトロリーバスが走っていたし
神田の古本屋には新橋から都電で行った記憶もある。
少しの間だけ、時間が50年くらい行きつ戻りつ時を突き抜けた様な気がした。
自分が子供であった時が又よみがえったら書き留めておこうとおもう。
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