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雨にうたるるカテドラル 高村光太郎 [詩歌]

高村光太郎が好きで高校生になってよく読んだ

部屋を片づけていたら
当時の高村光太郎/宮澤賢治/集を発見
懐かしく読みふけってしまった
奥付に1964年6月24日 姿屋 とある
品川大井町にあった本屋さん

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参考にした本

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表紙に挟まっていた新聞の切り抜き 1998年7月11日


高村光太郎が好きで社会人になっても読んだ

冬が來た 「きっぱりと冬が来た 八つ手の白い花も消え」
道程 「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
千鳥と遊ぶ智恵子 「人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の砂にすわつて智恵子は遊ぶ。」
レモン哀歌 「そんなにもあなたはレモンを待っていた」
力強さ。熱烈さ。優しさ。透徹さ。
声に出すと詩のその言葉一つ一つが心に沁みこんだ


ボクが気に入っていたのは
声に出して読むと波長が合った「雨にうたるるカテドラル」
誰もいないとき、声にした

おう又吹きつのるあめかぜ。
外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
毎日一度はきつとここへ來るわたくしです。
あの日本人です。 」で始まる長編の詩だ

1908年にパリに留学し
たびたび、ノートルダム寺院に出かけ建物を眺めていた様子

激しい嵐の中でも悠然としている、戦っているノートルダム寺院
声読するとその嵐の中でずぶぬれになって立ちすくんでいるような錯覚になる






雨にうたるるカテドラル

おう又吹きつのるあめかぜ。
外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
毎日一度はきつとここへ來るわたくしです。
あの日本人です。
けさ、
夜明方から急にあれ出した恐ろしい嵐が、
今巴里の果から果を吹きまくつてゐます。
わたくしにはまだこの土地の方角が分かりません。
イイル ド フランスに荒れ狂つてゐるこの嵐の顔がどちらを向いてゐるかさへ知りません。
ただわたくしは今日も此處に立つて、
ノオトルダム ド パリのカテドラル、
あなたを見上げたいばかりにぬれて來ました、
あなたにさはりたいばかりに、
あなたの石のはだに人しれず接吻したいばかりに。

おう又吹きつのるあめかぜ。
もう朝のカフエの時刻だのに
さつきポン ヌウフから見れば、
セエヌ河の船は皆小狗のやうに河べりに繋がれたままです。
秋の色にかがやく河岸(かし)の並木のやさしいプラタンの葉は、
鷹に追はれた頬白の群のやう、
きらきらぱらぱら飛びまよつてゐます。
あなたのうしろのマロニエは、
ひろげた枝のあたまをもまれるたびに
むく鳥いろの葉を空に舞ひ上げます。
逆に吹きおろす雨のしぶきでそれがまた
矢のやうに廣場の敷石につきあたつて碎けます。
廣場はいちめん、模様のやうに
流れる銀の水と金茶焦茶の木の葉の小島とで一ぱいです。
そして毛あなにひびく土砂降の音です。
何かの吼える音きしむ音です。
人間が聲をひそめると
巴里中の人間以外のものが一齊に聲を合せて叫び出しました。
外套に金いろのプラタンの葉を浴びながら
わたくしはその中に立つてゐます。
嵐はわたくしの国日本でもこのやうです。
ただ聳え立つあなたの姿を見ないだけです。

おうノオトルダム、ノオトルダム、
岩のやうな山のやうな鷲のやうなうづくまる獅子のやうなカテドラル、
灝氣(かうき)の中の暗礁、
巴里の角柱(かくちゅう)、
目つぶしの雨のつぶてに密封され、
平手打の風の息吹(いぶき)をまともにうけて、
おう眼の前に聳え立つノオトルダム ド パリ、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
あの日本人です。
わたくしの心は今あなたを見て身ぶるひします。
あなたのこの悲壮劇に似た姿を目にして、
はるか遠くの國から来たわかものの胸はいつぱいです。
何の故かまるで知らず心の高鳴りは
空中の叫喚に聲を合せてただをののくばかりに響きます。

おう又吹きつのるあめかぜ。
出来ることならあなたの存在を吹き消して
もとの虛空(こくう)に返さうとするかのやうなこの天然四元のたけりやう。
けぶつて燐光を発する雨の亂立(らんたつ)。
あなたのいただきを斑らにかすめて飛ぶ雲の鱗。
鐘樓の柱一本でもへし折らうと執念(しふね)くからみつく旋風のあふり。
薔薇窓のダンテルにぶつけ、はじけ、ながれ、羽ばたく無數の小さな光つたエルフ。
しぶきの間に見えかくれるあの高い建築べりのガルグイユのばけものだけが、
飛びかはすエルフの群(むれ)を引きうけて、
前足を上げ首をのばし、
齒をむき出して燃える噴水の息をふきかけてゐます。
不思議な石の聖徒の幾列は異様な手つきをして互にうなづき、
横手の巨大な支壁(アルブウタン)はいつもながらの二の腕を見せてゐます。
その斜めに弧線をゑがく幾本かの腕に
おう何といふあめかぜの集中。
ミサの日のオルグのとどろきを其處に聞きます。
あのほそく高い尖塔のさきの鶏はどうしてゐるでせう。
はためく水の幔まくが今は四方を張りつめました。
その中にあなたは立つ。

おう又吹きつのるあめかぜ。
その中で
八世紀間の重みにがつしりと立つカテドラル、
昔の信ある人人の手で一つづつ積まれ刻まれた幾億の石のかたまり。
眞理と誠實との永遠への大足場。
あなたはただ默つて立つ、
吹きあてる嵐の力のぢつと受けて立つ。
あなたは天然の力の强さを知つてゐる、
しかも大地のゆるがぬ限りあめかぜの跳梁に身をまかせる心の落着を持つてゐる。
おう錆びた、雨にかがやく灰いろと鐵いろの石のはだ、
それにさはるわたくしの手は
まるでエスメラルダの白い手の甲にふれたかのやう。
そのエスメラルダにつながる怪物
嵐をよろこぶせむしのクワジモトがそこらのくりかたの蔭にに潜んでゐます。
あの醜いむくろに盛られた正義の魂、
堅靭な力、
傷くる者、打つ者、非を行はうとする者、蔑視する者
ましてけちな人の口の端(くちのは)を默つて背にうけ
おのれを微塵にして神につかへる、
おうあの怪物をあなたこそ生んだのです。
せむしでない、奇怪でない、もつと明るいもつと日常のクワジモトが、
あなたの荘嚴なしかも掩ひかばふ母の愛に滿ちたやさしい胸に育(はぐく)まれて、
あれからどのくらゐ生れた事でせう。

おう雨にうたるるカテドラル。
息をついて吹きつのるあめかぜの急調に
俄然とおろした一瞬の指揮棒、
天空のすべての樂器は混亂して
今そのまはりに旋回する亂舞曲。
おうかかる時默り返つて聳え立つカテドラル、
嵐になやむ巴里の家家をぢつと見守るカテドラル、
今此処で、
あなたの角石(かどいし)に両手をあてて熱い頬(ほ)を
あなたのはだにぴつたり寄せかけてゐる者をぶしつけとお思ひ下さいますな、
醉へる者なるわたくしです。
あの日本人です。

灝氣 こうき 広々として澄み渡った大気

※文芸作品なので用語はそのまま掲示しています。



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hatumi30331

懐かしい〜
高村光太郎・・・・
昔々・・読んでた頃があります。
青春時代や〜(笑)
by hatumi30331 (2015-05-25 16:43) 

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
高村光太郎ですか、智恵子抄しか読んだ事がありません。
中高生の頃に読んだ太宰を読み返そうと思っています。
by johncomeback (2015-05-25 16:49) 

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