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茅の輪くぐり [先達の俳句]

早いもので今年も六月も半ば
六月の晦日(みそか)を夏越(なごし)と呼んでいたと調べて分った


夕かぜや夏越しの神子のうす化粧 大江丸 (江戸時代の俳人)

ゆうかぜやなごしのみこのうすげしょう おおえまる

旧暦六月晦日に行う祓(はらえ)の称。
新暦になってからは六月三十日や七月三十一日に行う神社とさまざま。
旧暦十二月の晦日を年越しと云うのに対して六月の晦日を夏越しと呼んだ。
夏越し神事は形代(かたしろ)に半年間の穢れを託して川に流したり
茅の輪をくぐることが一般的である。 ※形代→人形(ひとがた)のこと

季語 夏越 夏  俳句歳時記 夏 角川出版より

無病息災を願っての神事なのですね


そういえば、茅の輪くぐりの写真を撮ったことを思い出しました

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東京にある神田明神の茅の輪 場所柄スーツ姿のサラリーマンが多い 撮影2008.6.24

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仕事帰りの女性の方も茅の輪くぐりを・・・ 
くぐり方も解説図を見ながら

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東京・江東区にある亀戸天神の茅の輪  撮影2010.6.27

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スカイツリー見学の時に仲間と立ち寄った

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スカイツリーはアンテナ部分を残して当時はまだ完成していませんでした

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東京北区にある七社(ななしゃ)神社の茅の輪 (飛鳥山公園の隣)  撮影2013.6.16 
※ムービーから切り出した写真です

夏越しの祓.jpg
東京ウォーキングの時に立ち寄る


夏越大祓 なごしのおおはらえ
大祓とは、1年に2回(6月と12月)に行われる、半年間の罪・穢を祓い清めて、
次の半年を無病息災に過ごせるよう願う神事です。
※京都市にある上賀茂神社のHPから


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更衣  榎本其角 [先達の俳句]

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台風一過、暑くなって来た。今日関東は30℃をこえる勢いとか!
通勤電車は白いシャツや半袖の人が多く見られた
当方は白シャツに紺のブレザー、薄茶のデニムパンツ
・・・・・昔ながらのよれよれスタイル


越後屋に衣さく音や更衣  榎本其角

えちごやにきぬさくおとやころもがえ  えのもと-きかく

越後屋の前を通ったら、キューキューと鋏で呉服生地を切る音が聞こえてきた
そういえば更衣の時期か」の句意


季語 更衣 夏

昔は陰暦四月朔日(ついたち)を更衣としたが、現在では冬から春の間に着用していた
ものを夏用にかえること。重い服から軽い服にかえると心までうきうきする。
白い制服へかわる女子高校生が印象的。 出典:今はじめる人のための俳句歳時記

越後屋は三越の前身、掛売りの慣習を現金売りに、注文制の呉服生地を店先での切り売り
に切り替え、薄利多売の商法で店を大きくした商才が素晴らしい

榎本其角は芭蕉の門人。蕉門十哲のTOPクラスの俳諧師。後の宝井其角。
酒と遊里と釣をこよなく愛した粋人で紀伊国屋文左衛門、画家の英一蝶とも交流があった。
「大江戸釣客伝」夢枕獏著 に詳しい

我が家ではそれぞれが箪笥の冬衣類を衣装用ブラケースに仕舞い
ブラケースに仕舞っていた夏物を箪笥にと、入れ替えることになっている。
ボクは既に4月に完了済み 夏がまたるる






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芭蕉の顔  [先達の俳句]

東京江東区にある芭蕉記念館(Basho Museum)を訪問
内部は撮影不可なので眼に焼きつけることに

芭蕉はここ深川草庵に住み新しい俳諧活動を展開、多くの名句と『おくの細道』など
の紀行文を残した。門人から贈られた芭蕉の株が生い茂り"芭蕉庵"と呼ばれた由。
芭蕉没後、武家屋敷内に取り込まれ幕末から明治にかけて消失。」
江東区はここゆかりの地に、松尾芭蕉の業績を顕彰するため、
昭和56年に芭蕉記念館、平成7年に同分館を会館した。」と案内書にある。

芭蕉の生前を知る門人・画家による芭蕉の顔とスタイル
三者三様で興味をもった

①杉山杉風(すぎやま-さんぷう)の芭蕉像
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芭蕉庵史跡展望庭園にある像

杉山杉風は俳人で蕉門十哲のひとり。
彼は芭蕉の経済的支援者で住んでいた庵は杉風が提供もの。芸術家のパトロン。
※蕉門十哲(しょうもん-じゅってつ)とは松尾芭蕉の一門で高弟の十名を呼ぶ。

芭蕉の顔:落ち着いた雰囲気で顔は深謀遠慮の様子。
       杉風の性格がこの像に表れていると思う。
※深謀遠慮(しんぼうえんりょ)→考えを深く巡らし先のことを目論むこと

②英一蝶(はなぶさ-いっちょう)の芭蕉像
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都営地下鉄 森下駅の案内板より

英一蝶は画家で俳人。蕉門十哲の榎本其角と親交。芭蕉とも交流があった。
画号は多賀朝湖(たが-ちょうこ)、生類憐みの令に触れ三宅島に12年も流罪にされた。
綱吉の死後大赦でゆるされ江戸にもどり、英一蝶と名乗る。

芭蕉の顔:全景は川べりの木に持たれかかる図。
       笠と杖と脚絆の旅スタイルで顔は沈思黙考の様子。
       芭蕉に対する印象が現れている作品だと思う。印象的だ。
※沈思黙考(ちんしもっこう)→黙ってじっくり物事を考えること

③森川許六(もりかわ-きょりく)の芭蕉像
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奧の細道行脚之図(天理図書館蔵) 日本古典文学大系月報30より

森川許六は彦根藩士 蕉門十哲の一人。絵師でもある。
笠を持ち杖をつく芭蕉と随行者の河合曽良。奥の細道に関する本や記事などによく観る。

芭蕉の顔:おくの細道に出発したのは芭蕉46歳の時。
       充実感があふれ顔は一意専心の様子。
       芭蕉は旅に出ることが多く当時の様子がよく伝わってくる。
※一意専心(いちいせんしん)→もっぱらひとつのことに心を集中させること

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芭蕉の像は隅田川の前にある
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現在は観光船が時折通る 船名は龍馬
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花の雲鐘は上野か浅草か


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行く春や   さくらの実 [先達の俳句]

行春や鳥啼き魚の目は泪  松尾芭蕉  元禄二年

ゆくはるやとりなきうおのめはなみだ まつおばしょう

奥の細道への旅、出発に際し門弟たちと舟で深川から隅田川を遡り、
千住大橋のあたりで上り、別れを惜しんだ人々との留別の句

春も過ぎゆく頃、惜別の情にたえかねて鳥はなき、魚は目に一杯涙をたたえている。
それはまた芭蕉たちの別離を悲しむ姿でもある。惜別の情を魚鳥に託した。
(芭蕉句集 日本古典文学大系 から)

余談だが、この時代は将軍綱吉の治世で生類憐みのお触れが何回も発令されている
元禄二年にも大きな取り締まりがあったとものの本にある


行く春」を調べていたら子規の句があった

行く春や大根の花も菜の花も  正岡子規   明治二十五年

春が過ぎてゆく、咲いていた花もそろそろ終わりかけている
時が移ってゆくとは感慨が深いなぁ」の句意

行く春 季語 春
「春はとりわけ楽しく明るい季節だけに、それが尽きようとすることは、
ひとしお惜春の感慨を深める → 春惜しむ」 と歳時記にはある。


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今朝起きたら春らしい陽気、外が明るくなってから散歩
カメラを肩に一時間ほど速歩でご近所を大きく一回り
さくらも他の木々もすっかり若葉におおわれ夏の準備かとおもう

散歩途中にある桜をみると実がなっている
ソメイヨシノの並木の間に一本別のさくらがある
さくらの実とさくらんぼは違うのだろうかと思う
毎年観察すると一ヶ月ほどで実は黒くなり落下してしまう

さくらんぼはさくらの実が甘く大きくなるように改良を重ねた品種なのだとおもう

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散る桜    高浜虚子 [先達の俳句]

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土佐日記懐にあり散る桜   高浜虚子

とさにっき ふところにあり ちるさくら  たかはま きょし

桜の花は散り際が清いので昔から「花は桜木人は武士」などといわれ、
その風情を愛されいる。
桜の咲く時分はとかく強い季節風が吹く。
一陣のかぜにさっと散る花の姿はあわれでもあり、爽快でもある。
「空に知られぬ雪」といい、「落花狼藉」というのは、落下の形容で、
一夜にして満地雪の降ったように白くなる。
俳句歳時記より

歳時記を読んで落花狼藉という言葉の意味を初めて知った。(余談)

この俳句の趣意は「土佐日記を読んでいたが、桜の散るさまを見ていっそう寂しさを感じた」

ボクははじめ伊勢物語と土佐日記を勘違いしてこの俳句の句意を考えていた

「昔男ありけり」が伊勢物語で
「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」が土佐日記
この二つの作品は教科書で部分的に読んだだけ
つまり受験対策程度しか知らない
理解が甘かった

心機一転
青空文庫などチェックして拾い読み
古文を理解する知識は皆無とはいわないがないに等しい
Webで探り現代訳などを参考にした

伊勢物語は男女間の恋愛や親子愛など人間関係を描いた物語で在原業平作。
土佐日記は亡くなった愛娘を思う心情や土佐から都へ帰る道中の日記文学、紀貫之作。

読みかけの土佐日記を懐に入れていた
そこに風が吹き、桜が舞い散っている
愛や恋、つまりこの部分を取り違えていた、と散る桜の散り際の良さを響かせて詠んだ句と理解した

本来は娘を亡くした悲しみ、愛娘を思う心情などが花の散る様子とが共鳴して
いっそう哀れさが表現されていると考えると俄かにしんみりとした心象的な俳句に思えてきた

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桜はこの夜の雨と風で散り始めました

※編集途中のモノを気づかずにUPしてしまいました。失礼しました。



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花時   野村泊月 [先達の俳句]

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ご近所の桜は風に舞い花びらで道路が白くなって来た
風に花嵐の様相、カメラを構えたけど舞う花びらを写すのは難しい

花時の人迷ひくる裏戸かな   野村泊月

はなどきの ひとまよいくる うらどかな  のむらはくげつ

季語 花時 春

単に花時というと四月の桜の咲くころをさす。
しかし桜にしても、一番早く咲くのは九州南部で三月中旬、
北海道の札幌などでは五月中旬にようやく咲き出す。
角川書店編 新版俳句歳時記より

この句は歳時記を読んでいて〇印を付けたもの

桜に眼を囚われ気が付いたら他人の家まで来たという趣意

桜の美しさに桜のトンネルを抜けた時にふと我に返る
桜の客人は見とれているうちに知らぬ家の庭にまで入り込んだのだ
酔わされふらつき歩く
男が酔うのは酒だけではない

ボクが初めて読んだLove Storyは三四郎だ
愛し 愛され の話ではないし
ひそやかに愛を育くむ内容でもない

三四郎と美禰子との間に愛に係わる会話もない
でもその展開にボクが美禰子の愛を感じて読んだと云ったらよいかもしれない

三四郎は迷わされたように 美禰子は迷ったように
迷える羊ストレイシープと漱石は表現した

ボクは今ほとんど酒を飲まない
我慢している訳ではないけど
時々女房と250mlの缶ビールを分け合っているほど
それでも頭の中は酔ってくる

路に迷うことが少なくなった
女性に酔うことも とても少なくなった

三四郎  夏目漱石著 (明治41年)


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ハナカイドウ [先達の俳句]

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木々が芽を吹きだしている
街道を歩いていると若木に眼がとまった
プレートにはハナカイドウ バラ科とある

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この街道は鈴懸が街路樹だ
夏、葉陰が通る人に涼しさを提供し
秋には大量の枯葉が風に舞う


ハナカイドウが鈴懸のそばに何本か植樹されいる
どれくらいの大きさに育つのか
ハナがついているので花が咲くのだろう
はな街道にするのだろうか
でもなぜこんな場所に など
思いを巡らす

写真をチェックしたら「マイ・ツリー」とある
ヤフって、ググったら東京都主催

 東京都では、「水と緑の回廊で包まれた、美しいまち東京を復活させる」ため、
都内の街路樹を100万本に倍増し、都市公園等の緑の拠点を街路樹でつなぐ
「グリーンロード・ネットワーク」の形成・充実を進めています。  とあり

 「マイ・ツリー-わたしの木-」は、一人でも多くの人に街路樹に関心を持って
いただくため、「緑の東京募金」のメニューのひとつとして平成20年度に募集を
開始しました。 「マイ・ツリー」事業により植栽した街路樹には、寄附者のお名前、
メッセージを書き込んだ樹名プレートを取り付けます。 とあった

  第1期に募集した街道は次の通り
    靖国通り、内堀通り、高輪麻布線、東邦医大通り、井ノ頭通り、
    環七通り、三ツ目通り、足立越谷線、明治通り

 応募に必要な費用(価格)は以下
    中木(樹高1m以上3m未満)1本1万円
    高木(樹高3m以上)     1本5万円

有志による植樹か!
でも! こんな場所に、鈴懸のそばに植えるなら つつじかさつきだろう
バラバラの植木を街路樹の隙間に植えるなんて可笑しくないかなどと思う

 
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樹名プレートには寄附した個人、企業、団体等の名前やメッセージが記入される
 
メッセージの一例として
 「すくすくと、たくましく、育ってほしい。」
 「孫達が健やかに育まれる輝く美しい未来へ」
 「まっすぐ育て。素晴しい未来見届けるまで。」
 「家族の健やかな未来を。この木とともに。」
 「東京にやさしく映えよこの緑」
 「健康で過した。80代、感謝の記念樹です。」
 「祝 米寿 今日も一日楽しいといいね。」
 「喜寿の記念に隅田川水の流れの松飾り」
  

歳時記には春の季語としてあった

花海棠 睡花 ねむれる花
海棠にはハナカイドウ(垂糸海棠)とミカイドウ(西府海棠)の二種があって、後者は果実がなり、
植物学上ではこれが正しい。俳句に詠まれるのは前者ハナカイドウで、主として庭木に植えられ、
その花はすこぶる優艶で、雨に濡れたものは女性の艶姿にたとえられる。
異名睡花は、楊貴妃の故事にもとづく。 
 俳句歳時記 春の部 角川書店編 より

海棠の露をふるふや物狂ひ 夏目漱石

海棠の雨といふ間もなく傷み  高浜虚子

傾城の美女 楊貴妃 にもたとえられる海棠
それを思いながら漱石さんと虚子さんの俳句をよむ

ブログの下書きをしているうちに
ハナカイドウの花が早く咲くのが楽しみに変化してきた







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桜   松尾芭蕉 [先達の俳句]


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近所で桜がようやく咲いた 二三分咲きというところ
パソコンで写真を見ながら思い出した芭蕉の俳句

さまざまなの事おもひ出す櫻かな  松尾芭蕉

さまざまなことおもいだすさくらかな  まつおばしょう

季語 桜 春

日本古典文学大系 芭蕉句集に次の注釈がある
元禄元年。 さまざまの事・・・二十年振りで旧主の故園に遊び、
盛りの桜を見て昔の思い出がつきない。

一読するとこの俳句の云わんとするところが理解できる
さらに読むとこの俳句のもっている奥深さも理解できるようになる
もっと読むと読者のつまりボクの思い出が現れてくる

この俳句の良さは読者が何回か読んでいるうちに
個人の桜にまつわる思い出が芭蕉を乗り越えて現出してくることだ

ボクの思い出は
初めて鉱石ラジオだったと思うが制作して聞こえてきたのがラジオ関東の放送だった
当時はアンテナを張ってANT端子につなげないと鳴らないしスピーカーなどなく
無線機タイプのベークライト?製クリスタルヘッドホンを接続していた

しかもスパイダーコイルにエナメル線を巻き、検波は方鉛鉱だったと思う
単純な構成なので混信もひどく、強い電波であったラジ関が強く入感した
その時にアンテナの端を結んだのが庭の桜と洗濯物干しの柱であった

初めて聞いたラジオの印象は今でも忘れることがない
大いに興奮した
40歳過ぎてからHAMを始めたのもその印象がどこかにあったからだと思う

※ラジオ関東は現在のラジオ日本









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春風   高浜虚子 [先達の俳句]

春風や闘志いだきて丘に立つ   高浜虚子

はるかぜや とうしいだきて おかにたつ たかはまきょし

季語 春風

春風が俺に向かって吹いている
俺は思うところがあり身体の中から闘志がわいてきている
俺の決意
そんな意味合いだとおもう
虚子さんは紳士だから俺などと云わなかったと思いますが


春風の文字面に引きずられると句意がソフトになってしまう
上五の「春風」が切れ字「や」を得ることで意味合いが強調され
中七の「闘志」という強い言葉と釣りあい、春風=闘志になる
句全体に虚子さんの強さ決意が感じられる

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参考にした本
参考書の解説によると中学受験で難関校をめざす人は掲句は覚えておく句になっている


関東地方は今日も時たま風が強く吹いている
体感温度がぐっと低く感じられる
ソメイヨシノは蕾がピンクから一部白っぽくなり明後日くらいには咲き出す


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近くの江戸川では菜の花(アブラナ)が満開で土手一面が黄色く変化している

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こちらは春の風に誘われ散歩する人が多い

あと少しで関東は春です
もうしばらくお待ちください

ボクは杉よりも檜に弱い
GW手前までが一番つらい季節になる





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花冷え  能村登四朗 [先達の俳句]

芝桜が咲いた
暖かさに釣られるようにポツポツと咲き出した
団地の擬木に沿って植えてある

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花冷えや老いても着たき紺絣  能村登四郎

はなびえや おいてもきたき こんがすり 

季語 花冷え 春
 桜の咲くころ急にひえこむことがある。そのころの季節をいうが、桜の連想と離れ難い。
 歳時記より

ボクは子供時分お袋が仕立ててくれた紺絣を持っている
大きくなるにつれ着る場面が少なくなり、今はそのまま箪笥に入っていると思う

この俳句を詠むとメインは紺絣である
作者は寒いから着たいのではなく、紺絣の持つ若々しさをまといたいのである
心はいつまでも青年なのだ

普段着物に縁のない生活をしているので知識もTPOも皆無である
紺絣には青年のイメージがあるのだと思い想像した

林芙美子の文章に「着物雑考」がある
一部抜粋する

「日本の青年には紺絣は一つの青春美だとさえ思います。私たち娘の頃、紺絣を着た
青年はあこがれの的であった位です。これ位、また、青年によく似合う着物は他にない
のですから、絣屋さんの宣伝をするわけではありませんが、もっと紺絣を着て貰いたい
ものだと思います。洗いざらした紺絣は人間をりりしくみせます。」

ボクは紺絣をまとおうと思う
まだ若いのだ






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